2014年6月28日

食わず嫌いなヒト

ヒトは、1日のうち一体どのくらいの時間食べ物の事を考えているのだろう。
恥ずかしながら私は、つまらない研修に参加していたり、右から左へさばくだけの、やりがいのない仕事をしていると、午前中は昼飯に何を食べるか考え、午後は晩飯に何を食べるのかを考えていて、どれだけ食いしん坊なんだろうと自分自身で呆れてしまうことがある。 

《断食》に挑戦したことがある方ならご存知かと思うが、ヒトは食を断つと日を追うにつれて食べ物のこと以外考えられなくなる生き物だ。
寝ても覚めても、頭の中は食べることにまつわるアレコレでいっぱいという状態は、食べる物を断っているのに食べることばかり考えているという完全に支離滅裂ダメ人間であり、それを前にした意志薄弱な様は、もはや執着を越えた食べ物の奴隷のようだ。

それでも、ヒトが餓死する時は、どうやら比較的穏やかな顔で死んでいくらしいので、断食も続けていけば、いつしか奴隷でなくなる時が来るのかもしれない。残念なことにも私はまだそこまで至ったことはないのだけれど。

言うまでもなく、多くの人にとって、食べることは日常における楽しみの一つである。
実際、私自身も身体が健康であれば何でも食べる。しかし、こんなに欲まみれな自分だからこそ、それに依存せず、上手く付き合っていける健全な精神状態でいたいなと思う。
なぜならば自分でもやってしまいがちだけれど、精神的なストレスを食べる事で発散するっていうのは、どう考えても身体上健全な営みだと思えないのである。



 

食わず嫌い


ところで、特に優劣をつけるつもりはないのだけれど、俗に『食べ物の幅は人間の幅だ』なんていう言葉もあるように、その信憑性はともかく食わず嫌いと人間の好き嫌いは共通している部分があると思う。

因みに、私の父は、昔は火をとおせば何でも食べるようなタフさがあったが、高齢になり余暇を楽しむようになってから、少しずつ選り好みが多くなった。
それを踏まえ、食べ物の好き嫌いが起因するところというのは、遺伝でもなく、更に言うと教育の問題だけでもないというのが個人的な見解だ。

そもそもヒトの味覚においては、昔食べたら不味かったから今も不味いという発想はあまり通用しない。例えば、小さい頃に嫌いだった物が、歳をとってからむしろ好物になったなんてことは、誰しもおぼえがあるはずだ。
そう考えると、知的好奇心の強さとか、物事を斜に構えて見ず、ありのまま素直に受け止める気持ちだとか、そんな事が好き嫌いと関係してくるのかなとも思える。

 
そうして話を戻すと、食べ物を食べる前から選り好みする人間は、恐らくヒトに対しても接する前や初対面の印象だけで、先入観を持って選別している。少し強引だが、そう考えると最初の《食べ物の幅》の話も納得できる。

要するに、ヒトの好き嫌いも本当は自分の意識の持ち方次第じゃないかって事なんですね。

それならば。まずは傷つくことを恐れず、殻に閉じこもらないで、知った風なフリをしないで、素直に接してみよう。

それが出来たら、今度は自分の弱みを先に相手に見せてしまう。つまりはカッコつけないで、自分の《ダメっぷり》をさらけ出すのだ。これポイント。

そして、最終的に自分を認め、相手を認める。結局これが一番難しいのだけれど。



・・・第二弾は、身体がカタい人間は頭が固いをお送りします。(うそ)

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