2014年8月1日

独立宣言

大学を出て最初に就いた仕事が営業職だった。

最初は、営業という《手段》と最終的な《目的》が収益であるということの違いすらよく分かっておらず、無い頭で考えながらの試行錯誤が続いた。そして、とにかく自発的に動かないと何もならなかった記憶がある。

そんな時、周りを見ると、安定して結果を出している人達は、コミュニケーション能力が高く、(たとえそれが私のような目下の人間だとしても)人の話に耳を傾けるのを得意としていた。
また、デキる人は共通して楽観的にみえた。

 
2年目になり、『どこが解らないのかが分からない』という状況を脱すると、とにかく動きながら考え、一つ一つの《作業》のスピードを早くする事で、短期的には人並みの数字に肩を並べるようになる。
だが、思い返せば、当時は帰属意識が希薄で組織の為に働くと言う気持ちが皆無だった。
与えられた予算を達成すれば、更にそれ以上の時間を割いて利益を還元するなどという考えは理想論だと思っていた。

そして手を抜き始めた。

そうなると、どれだけ少ない時間で効率良く数字を挙げるかという、要領の良さを鍛えるだけの生産性の無い日々になっていき、そういった環境の中では、概して《成長》は見込めないものだ。
要するに、その頃の私は、表面的にわかった気になり、自分がデキるヤツだと錯覚する事で、ずっと何かから逃げていたのだと思う。
結局、職歴も3社目になり【キャリアコンサルタント】の職に就くと、頭の中にぼんやりとあった理論が段々と形になっていく。
やるべき事を理解し、周りとの信頼関係が生まれると、少しずつ自分の頭で考えて動くことが習慣化され、更には効率を上げ、同時に業績をあげる事で、仕事のヤラサレ感が薄れていく。

その時、不意にそれまでに持っていた《優秀さ》の概念が崩壊した。

少なくともその狭い世界の中においては、本当に大事な局面での決断力は、作業の早さや要領の良さではなく、自分の頭で考え、自分なりの考えを持つことによって磨かれていた。
また、凝り固まった頭でありふれた倫理感を振りかざし、表面的な結果だけを見て物事を判断していると、大体本質が見抜けていなかった。
そして、人の話に素直に耳を傾けていると、何だか肩の力が抜けて自分も楽になった。


いつしか自分の中の《道理》が確固たる決意へと変わった時、

伸ばすほどに膨れ上がっていく、自転車操業な営業の数字も

ヒエラルキーに絡めとられた、人を値踏みする様な生き方も

もう終わりにしようと思えた。


自分は特に《優秀な》人間でなくていい。

転んでもまた自分で立てればそれでいい。

でも、これからは、広くは世の為人の為ひいては家族の為に、そして自分に嘘をつかず、自由に息ができるようにするために、自分の持てる力を使っていこうと、独立を決めた。

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