2014年9月1日

自分探しの旅



インドという国はスケールがデカい。


現在、人口は既に12億を越えて世界第二位となり、一位の中国にもあと僅かと迫っている。当然、その受け皿となる国土も巨大で、北端はヒマラヤ山脈にかかり、南はモルディブに近い亜熱帯の地域にまで広がり、東にはマレー半島のスマトラ沖に浮かぶアンダマン諸島もインド領だ。

そんなインドを、ほぼ一年かけて東西南北フラフラとさまよったことがある。

ただ、その後、何人かの友人にその話をすると、必ず

『何で一年もかかったの?』
と聞かれたけれど、残念ながらそこには<大義名分><明確な目的>などある訳もなく、その<南の島>から<チベットの山奥>まである広大な国土を気の向くままにゆっくり旅をしていたら、その位の期間になってしまったというしかない。


当時は、自転車の<BMX>を<街乗り用>に持って旅をしていた。
『なんでそんなモノ持ち歩いてるの?』
旅行者からは例外なく特異な目で見られたけれど、自分にとっては<少しかさばる>おもちゃを運んでいるようなもので、近所にご飯を食べに行くとか、少し郊外に遊びに行くとか、深い意味なんてどこにもなかった。

そんな自分も含めて、当時のインドには、どこか精神が壊れた旅行者があちこちに出没しており、時には自我が崩壊しているんじゃないかと思えるほどバカげた人間にも出会ったりして、独特の世界観を形成していた。

それは、よく言えば<個性>であり、見方を変えれば<我欲>と言えるのかもしれないけれど、最も興味深かったのは、それら貧乏旅行者の多くが、自然体でいることを求めてありのままに生きる一方で、精神世界に興味があり、多かれ少なかれ自分の人生に意味を見出すための<自分探し>をしていたことだ。

そして私は、それらの旅行者と寝食を共にしながらも、
『これだけの人が探しても見つからないってことは、やっぱり<本当の自分>とか<人生の意味>なんて存在しないってことなんだなぁ』
と、一人勝手に納得していたことを記憶している。


言うまでも無く、日本でも『自分のやりたいことがわからない』とか『目指すものが見付からない』だから<自分探し>をしていますという人はたくさんいる。
しかし<本当の自分>や<人生の意味>というのは、既製品としてどこかに存在しているものなのだろうか?と言えば、そんなものある訳がない。それらは未来の中に自分が作っていくものだ。

要するに、自分自身で作り出さなければ、いつまでも存在しないのである。

では、<人生の意味>は自分で作っていくものだとするなら、何から始めたら良いのだろう?と聞かれれば、まずは何かに興味や関心を抱いて、そのためにとにかく何でも行動を起こそうと考えることが第一だろうと私は思う。

例えば、全く夢も希望もないと思っている現状の中でも、何かしら心から興味を湧かせてくれるものは必ずある。

言い換えると、そうやって『あるはずだ』とポジティブに考えることで、現状をよい方向に変えていくきっかけになるのではないか。

実際、人生の意味や目的をつかんだ人の話を読むと、誰もが行動を起こし、辛抱強くそれを実践し続けた結果としてそれを手に入れている。
つまりは<自分探し>という夢見がちな気分で、漫然と『なんか、いいことないかなー』と現実に目を背けていてもチャンスは巡ってこない。
もっと正確に言うと、チャンスをチャンスとして気付くことができない。なぜならきっかけに気付く意識が備わっていないし、チャンスを生かす基盤がまだ自分自身の中にできていないからだ。

そう。まずは一歩を踏み出すことから始めよう。

2 件のコメント:

  1. その通りですよ!

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  2. >Jinさん
    【青い鳥症候群】ってやつですね。

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