2017年11月30日

特に何ということはないけど何となくモカの話

しばらくぶりにブログを見たら、「酔拳炸裂!」みたいなイカれた記事がトップで、こんな記事がトップを飾っていたのかと思うと急に恥ずかしくなったので、特に書くことも無かったのだけれどトップの記事を変えるために適当に書きはじめる。

先日、ひょんなことからモカの話になり、Google Photoの古いデータをひっくり返すことになった。

モカと言ったら無論モカコーヒーだろう。私も異存はない。ただ、そのモカの語源がアラビア半島の南端にあるイエメンと言う国の港町であることを知るヒトは少ない。
そこで、このブログを読む多くのヒトにとっては死ぬまで役に立たないかもしれないけれど、取るに足らない極めて個人的な備忘録をここに記す。


かれこれ10年前の話になる。

当時のイエメンは、アラビアの真珠と呼ばれた古の面影を残しており、首都サナアの街の旧市街を外国人が歩けば、純朴で目がキラキラした老若男女誰もが笑顔で挨拶をかけてくれる、とても素敵な国だった。

その一方で当時の私は、好奇心剥き出しバカ丸出しでイスラム圏の国々を一通りラウンドし、今度は海を隔てた向こう側の暗黒の大陸アフリカに向けてどうやってアプローチしようかと模索していた。

結果、自分が選んだルートは、件の港町モカから、海賊が蔓延ると言われる紅海・ソマリア沖を船で渡り、対岸の小国ジプチからアフリカ入りするというもの。

もちろん、日本大使館は旅行者がそんな危険なルートを行くと言えば承認する訳もないが、それでも私はそのルートを取りたい一心で裏工作し、ダミーの航空券を入手して日本大使館のレターを貰い、まんまとジプチのビザを手に入れてしまう。

そうして私は、ジャカランダの花が咲き乱れる首都サナアの街からローカルバスに乗り込む。バスは予定通りその日のうちにモカの町に到着した。


翌朝、真っ白な砂浜にエメラルドグリーンの色が映えるモカの海岸を横目に見つつモカの港に到着すると、幸いにもジプチ行きの船はあっさりと見つかった。しかもその日の昼前に出発して、翌朝にはジプチに着く予定だという。

『ジプチまでならデッキに雑魚寝で良ければ4600リアル(約4500円)でいいぞ。』

それを聞いた私は、金額も言い値のままに受け入れ、これ幸いとその船に乗り込んだ。漫画のワンピースから飛び出してきたような木造の中型船は、想像とは違ってデッキはスカスカの空洞になっており、僅かな数の家畜が積まれていた。

船はソマリア船籍でジプチ経由でソマリアに向かう途上だった。インド人の船員を除くと、私と、バーレーンに出稼ぎに来ていてソマリアの首都モガディシオに帰るところだという青年、エチオピアのハラレに向かうという若干謎めいた年配の男が乗船している。

そして、その船長室には当たり前のように武器が積まれていた。それも結構な数の武器だ。ただ、それを見てなぜか私は妙に納得し、なぜか〈諦観〉に似た感情が沸いたことを記憶している。「ああ、この船自体が海賊船なんだからしょうがない。」と。


言わずもがな好奇心というのは常にリスクを含んでいる。リスクを取らずに好奇心を満たすことはできない。

最近の大相撲の報道もそうだけれど、日本に居て普段目に飛び込んでくるニュースというのは、いわゆるタレントのゴシップか、危険回避・責任回避のための「あれをやったらダメ、これを言っちゃいけない」という風潮を煽るモノばかりで時々本気でうんざりする時がある。

そもそも人間社会というのはある程度のリスクを許容したうえで成りたっているわけで、リスクが完全にない社会などありえない。

リスクをそんなに取りたくないなら、家の中でスナック菓子でもぼりぼり食べて外に出ないのが一番安全なのだけれど、そんな人生だと全然面白くないから、みんな大なり小なりリスクを取って生活しているのである。

ただ、当時の私はそのリスクを軽視していた。というより正確にはリスクに対する係数が極めて曖昧になっていた。
こういった危険を察知する力は、その場に身を置いていると、経験則としてより察知能力が高まるにもかかわらず、同時にここまでは大丈夫という耐性ができてしまい、不思議なもので実際には自ら危険に遭遇する確率自体を増やしていく。

そうして私は、外務省の危険情報のうちでも最も危険なクラスにあたる〈退避勧告〉。いかなる理由があろうともこの地域には立ち入らないようにというエリアに自ら入り込んでいく。


しかしながら、実際の現場の状況は、必ずしも常に命が危険にさらされているような緊迫感に包まれたものではなく、武器は所持しているものの、内海なので波も静かで極めてのんびりとした雰囲気だった。

もちろん、船員たちも元から命がけで家畜を運ぶ気持ちなどなく、そもそも私との会話も、日本の車は素晴らしいだとか、日本の電気製品を何か恵んでくれだとか、ごくごく一般的なものに終始し、ほんの一瞬たりとも危険を感じた時は無かった。

ただ、10年経ってその写真を見ながら当時を振り返りってみた時、ほんの少しだけこれって運が良かっただけで、たぶん紙一重だったんだよなぁという気持ちが頭をよぎる。

そして、そのリスクと引き換えに私が得たモノが、恐らく他のヒトにとっては何の価値もないものだったことは間違いない。

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