2015年3月11日

そしてわたしは自由になった

セールスとして外回りをしていると色々なヒトと出会う機会がある。
そんな中で、どうしても忘れ難いのはやはり何か痛い目を見させられた時だろう。そして私の場合、そう言ったケースの多くは怒鳴られ、時にはモノを投げられ、収拾がつかないと見ると最後に相手は決まってこう言うのだ。

『おまえじゃ話にならないから上司に連絡させろ。』

時々せっかちで頭の回転が早いヒトと話していると、自分が次に聞こうとしている質問の答えまでもが返ってきて、実は全てお見通しなのではないかと錯覚する事があるが、その一方で、せっかちで頭の回転がそれに追い付いていないヒトと話していると、この人には日本語が通じていないんじゃないかと不安になる事もある。

特にそこに優劣は存在しないが、その時の商談相手はせっかちの中でもどちらかというと前者に属していた。

相手は人材の紹介先である新規クライアントの人事担当者。見るからに血圧が低そうな、ヒョロッとした色白で痩せ形の男は、耳にピアスをしており、私が最初に持った気が弱そうな印象とは裏腹に、逆にそれを隠すように、間を開けずにまくし立てる事が時々あった。

その一方で、コンサルティング自体は大きな問題もなく、三度目の訪問で求職者Mさんの面接も終わり、マッチングも申し分なく、先方の社長からのゴーサインもあって、契約方法は三者で確認済み。あとは握手してクロージングを残すのみ。の筈だった。



ところが、最後になってクライアントは駄々をこねた。社長の要望で契約書のこの文言(条件)だけはどうしても変えてくれと言うのである。

『金額でなくて、成功報酬の条件だからワードで上書きするだけだし、5分で出来るでしょ。』

と、口にはしないが、表情を見れば言いたい事は手に取る様にわかる。まあよくある話だ。

しかし、残念ながらその変更は私の上司が首を縦に振らない部類の内容なのだ。だから私は率直に見解を述べ、確認の上一両日中に連絡する旨を伝えてクライアント先を後にし、翌日上司に確認して、案の定却下された時も特に反論はしなかった。

そして、折衷案として提示された条件のうち二割ほどだけ譲歩した契約書を持参すると、クライアント先の担当者「ヒョロ白男」はニコニコしながら待ち構えており、その顔を見ただけでその日の商談が厄介な展開になるであろう予感がした。


冒頭から、私が『前日と殆ど変わらず無理なモノは無理でした。』という言い分を述べると、担当の男は解かりやすい態度でイライラを増加させた。だが、私がのっぺりした態度を続けて話が平行線になる中、私のいい加減な知識を基にした言い訳から相手がポロッと発したひと言が、今度は私の心にザラついた感情を呼び起こす。

ヒョロ男『法律法律っていうけど、そんなのは嘘だ。ボクは社労士の資格もってるからそれくらいわかるよ。』

私は唖然とした。確かに私の付け焼刃でだった知識を否定されて動揺したのは事実だが、それ以上に、実はその7カ月後に私も社労士の試験を受験するつもりだったからだ。(そして実際に受験し合格した)

ただ、事の真偽はともかく、私が思い描いている社労士像と、この目の前に存在する妙にツルッとした印象の30がらみに見える男とのギャップがどうしても自分の中で肚に落ちず、私は心の中で舌打ちした。

ちっ、何言ってんだこのもやし野郎め。』


そうして私は、真正面から相手を見据え、妙な対抗意識を出してこんなことを口にする。

私『へぇ、そうなんですね。私も社労士の資格をとろうとおもってるんですよ。』

少しカミながらも、実際に口に出すと、そのザラついた感情は完全に怒りへと変わり、更にこの商談は、今ここで自分が終わらせても良いような錯覚に見舞われた。

また、自分を正当化すると、今度はむしろ求職者のMさんをこんな所で働かせてはならないという、勘違いした使命感が沸き起こる。実際こんなもやしの下で働いたら、Mさんまでスーパーで山積みになって、ひとパック19(税込)で叩き売りされてしまうのではないか。

そうして相手が言葉をつなごうとするのを無視し、感情が収まらない私は続いて強烈なハッタリをかます。

私『いずれにしても出来ないものは出来ないので、この条件で無理ならMさんには正直に事情を話して他を紹介するしかないですねぇ。』

と、その言葉は相手の感情を効果的に逆なでしたようだった。そしてパーテーションで仕切られただけのその面談室からはしばらく怒号が止む事は無く、お互いに激しい言い合いを繰り広げた後、相手は最後にお決まりの冒頭のセリフで締めくくる。

もやし『おまえじゃ話にならないから上司に連絡させろ。』

重苦しい空気が充満した面談室を出てその事業場を後にする時、受付の女性は同情とも憐みとも判断がつかないような、不安そうな表情で私を見つめていた。
その一方で私は、出来るだけ余裕があるように努めようとしたが上手くいかず、恐らく泣き笑いのような左右のバランスが崩れた顔をしていたに違いない。



結局、恥ずかしい話だがその時は上司が後を継いでくれ、収まるように収まった。そして、その事件から3年が経った今の私には、部下もいないが上司もいない。全てのリスクを自分で背負う代わりに、私は自由になったのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

あなたのひと言が励みになります。