2016年7月10日

組織で働くということ


私のように起業して個人事業主をすると、どうしても仕事とプライベートの境界線が明確ではなくなる。なぜなら、基本的にはやればやっただけそれが自分の利益として返ってくるからだ。

そう言った意味では、個人事業主が「休む」ということは、本当の意味で身体や頭を休める行為であり、その間は突発的な問題が発生しても対処しないというアピールでもあり、これ以上集中力が続かないので酒飲んで寝ますという意思表示である。もちろん有給休暇などない。

時々、起業して事業を軌道に乗せ、ある程度の規模まで拡大した企業の経営者に昔話を聞くと、『最初の数年間は本当に寝る間も惜しんで仕事していた。』などと言った苦労話を聞くことがある。

私自身、勤め人だった頃は、そんなにまでして働いて何が嬉しいのか甚だ理解不能だったが、実際に独立してみるとその気持ちはよくわかる。「寝る間を惜しんでいる」訳ではなくて、日々の限られた時間を有効活用しようとして気付いたら朝も夜も関係なく仕事をしていただけなのだ。

起業を選んだ人の共通点

近年は「起業ブーム」などと揶揄されたりもするが、以前に比べると情報インフラの発達などのハード面のみならず、法律的なソフト面からみても、起業に対するハードルは低くなっている。

ここ最近、スタートアップ企業の社会保険関連の新規適用手続きの依頼がいくつかあり、まだ比較的若い、志を持った経営者の方とお会いする機会に恵まれたが、やはり起業を決意するだけあって、みな一定以上の高い意識を備え、何かしら将来に対するビジョンを持ち、ただ資金をはじめとする経営資源だけは不足していることが概ね共通している。

彼らは、よく『実は今までも組織で働くということに懐疑的だった。』ということを、「思い返してみると・・・」という前置きの後に話し始める。そして、その手の話はスッと私の肚に落ちる。自分もそうだったからだ。結局、皆薄々感付いてはいたものの、自ら勝手にハードルをあげていたり、事業を軌道に乗せる確信が持てないので実行に移せなかったのだ。

長いものに巻かれない気質

私の場合、組織人として向いていないのは今に始まった事ではない。それこそ「思い返せば」小さい頃から権力に迎合することが非常に苦手だった。

・皆が当たり前に何も考えずにやれていることが自分にはできない
・皆が素直に「そうだよね」ということにも「なぜ?」と疑問を持ってしまう

とまあそんな調子だから、私は組織という枠組みの中に入ると、小さい頃から何度も叱られ、時には干され、両親や学校の先生など周囲の人間は、何らかの手段で私を強制しようと試みた。が、それらは結局一過性のモノで終わってしまったことは言うまでもない。

それでも、不思議なことに昔から友達が少ないわけではなかった。私のような世間とは少しズレたキャラクターを「面白い」と言う友人もいたし、中には高く評価してくれている学校の先生もいた。教室の隅で独りぼっちだったという思い出は幸いにして一度もない。

結局、今でこそ「ダイバーシティ―」という便利な言葉も認知されているが、私と似たような思考をする人間は、マイノリティーではあるが実は世の中に一定の割合で存在する。そして、もともとそのような社会的なマイノリティーは自然に寄り集まっていたのである。

自分に正直に生きていない人の言葉は心に響かない

それでも、大人になって「なんとなく」就職して、組織人としてそれなりの人生を歩み始めると、最初は理不尽さに疑問を感じつつも、知らず知らずのうち牙を抜かれ、意外と器用に仕事も出来て、会社の中ではそれなりにうまく立ち回ることもできていたりする。

そしてまた、周りの人間は、時に愚痴をこぼすこともあっても、基本的には「普通に」会社員をやって(演じて)おり、毎月25日には確実に銀行口座に給料が振り込まれ、週末はその同僚たちと一緒に憂さ晴らしに飲みに出掛ける。

そんな状況下に慣れてしまえば、例えば家庭を持つことになり、子供が生まれると、その瞬間から人生設計はひとりのモノではなくなるので、会社での仕事も視点が変わってそれなりに充実したモノになっていくのかもしれない。

だけど、自分に嘘をつき続けているとすれば、それはそれで結構辛いものだ。嘘をつき続けると感情が鈍くなる。素直な気持ちで受け応えが出来ない人間が吐き出すセリフは、どうしても上辺だけの言葉に聞こえてしまう。上っ面だけで体裁の良い言葉は、耳に聞こえは良いが、記憶にも残らないし、結局毒にも薬にもならない。

目的が明確でないことを命令されるのが何よりも嫌だった

私が独り立ちしてもうじき2年が経つ。相変わらず潤沢な経営資源などどこにもないし、時には社会が求めることに迎合してただ売り上げを上げることに専念することもあるが、そこに不安や不満はない。

そしてまた、件のスタートアップ企業の経営者たちも恐らく気付いていると思うが、実は私のような人間が「安心して働き続ける」ための要件とは、報酬の多寡ではなく、企業の規模でもなく、ただ「自立している」ということだ。

要するに、寝る間を惜しんで仕事をすることも、安い報酬で請け負う仕事も、それが自分で選択したものであればそれは自ら理解・納得しているということになる。結局私は「目的も明確でないのに、ただ命令されて仕事をする」ことを最も忌み嫌っていたのだと思う。

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