2016年10月16日

皆既日食は新月の日にうまれる

 
昨晩は綺麗な満月を見ることができました。

私は、人事コンサルタントとして起業したちょうど3年前にこの静岡の地に戻ってきました。それまでも何年間かはフリーランスとして小さな仕事を請け負ったことはありましたが、基本的に企業に属していた10年間以外は旅の空の下で毎日飽きもせずに月を眺めるような日々を送っていました。

新月の時は創造性が増すので何かを始めるのに向いている。
満月の時は宇宙のエネルギーが満ちるので自然と行動的になる。

月の満ち欠けと生活サイクルとは様々な所で密接に結びついていると言いますが、日本にいると定期的に月経を迎える女性以外に月の満ち欠けを把握している方はあまり多くありません。

ただ、『忙しくて月がどんな形をしていようとそんなの知ったこっちゃない。』という方も、いざ乾燥した空気の中でくっきりと見える満月を目の当たりにすれば何かしら心に感じるものがある筈です。

そして今日は、満月を見て現実離れ(逃避?)してしまったため、ふと思い出した皆既日食のこととそこに至るまでの「道のり」を書いてみたいと思います。


2013年の秋、私は約10年の営業経験と6年に及ぶバックパッカー遍歴を経て独立開業しました。
実際、10年の営業経験は珍しくもなんともないですが、6年もバックパッカーをしていたという「振り切ったバカ」は世界的に見ても相当珍しいようで、その事実を伝えると
『あなたすごいね。。。』
と、まるで宇宙人にでも遭遇したように目を丸くされることが未だにあります。そしてそれに続く質問の王道が
『どこが一番良かった(印象に残った)?』
です。

ただ、私が海外の渡航先で何をしていたかと言えば、先にも述べたように月を眺めていたり、ゴキブリのような虫のから揚げを食べてみたり、アマゾンのジャングルで得体のしれない液体を飲んでファスティング(絶食)デトックスのようなことをしたりと、いわゆる名所旧跡を巡るというのではなく、本質的には「生活をしている」のとさほど変わらない感覚です。

そう。「生活の中に旅がある」とでも言いますか。

とは言え、私も最初からそのような旅をしていた訳ではなく、初期の頃はテッパン的な観光地を訪れ、その土地の名物料理に舌鼓を打ち、帰りに免税店でお土産を買って帰るといったようなことも何度かしました。

しかしながら、そういった旅行のスタイルにはすぐに飽きがきました。なぜならそれらは私にとっては「旅行」の本質ではなかったからです。そして私は世界中のもっともっとコアな部分が見たくなっていきました。


基本的に一人旅をすることが多かった私にとって、旅は二つのものを与えてくれたと思います。

一つ目が自分はどんな状況下でも生きていけるという自信
二つ目が危険なことに対しても緊張感を持たないという鈍感さ

この二つは表と裏のような関係ですが、私にとって長い間旅の一番の本質であり、同時にこれらが育てば育つほど好奇心というのは摩耗していきます。そして当然それらがある程度熟成されていくと「行ってみたい」場所がなくなっていきました。

もともと旅行にまったく興味がない方にとっては、どちらでも良いことなのでしょうが、私にとっては「行ってみたい」場所が無くなる、好奇心がなくなる、というのはある意味で機能不全のような状態です。そして私はこれから何を楽しみに生きていけば良いのだろうと大いに戸惑い、その終わりを想像すればするほど悲しみに暮れていきました。

それでも。私の旅の遍歴が他の追随を許さないレベルまでいき、もはや私の人生における旅の位置づけが趣味と呼ぶには程遠いと思える程に変化して、その終着点がどこにあるのかを模索していた時に出会ったのが「皆既日食」でした。


皆既日食は、地球―月―太陽が一直線上に並び、太陽がすっぽりと月の影に隠れて見えなくなる天文現象です。かなり乱暴に言うと1年に一度世界中のどこかで数分間だけ見ることができます。

ただし曇っていると(地上から見るのであれば)暗くはなりますがその日食の瞬間をみることができませんし、ちょうどその日食を見られる場所が海上だったとすると、アクセスそのものが限られるので、必然的に毎年必ず見られるというものではなくなります。

私は2012年の1114日にオーストラリア北西部のケアンズ近郊で運良くみることができましたが、その前には日本の奄美周辺でトライしたにも関わらず天気が悪くて見ることができませんでした。
因みに今年2016年は、3月にインドネシアの一部地域で見ることができたと聞きました。


2012年のオーストラリアで日食が見られたのは「たったの2分強」の間でしたが、その時のエネルギーは「筆舌に尽くしがたい」ものでした。

私の個人的な体験を元に誤解を恐れずに言えば、日食という現象に対しては、
どんな説明の言葉も陳腐であり、
どんな映像もそのエネルギーの片鱗すら捉えることができず、
その圧倒的なパワーの前に生物たちはただ立ち尽すしかありません。

そしてその皆既日食を見た時、私はそれまで長い時間とお金をかけて巡ってきた世界中の大自然の風景や巨大な遺跡群を見て感動に打ち震えた状態を遥かに超え、今まで目にしてきたもの全てがそこに帰結したと思いました。

そしてその時初めて、私はこれ以上この地球上に「行ってみたい」場所はないと心から断言することができたと思います。これは、例えて言えば世界が二次元から三次元へとシフトするような間隔に近いと思います。

来年2017年は821日にアメリカのオレゴン州で皆既日食を見ることができます。

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