2017年9月22日

ダイヤモンド・リング

さて、岡本祐社労士事務所も今月から4期目に入ったので久々にブログを書く。

ただ『お前の文章は長過ぎる。』と今までも散々読者の皆様から指摘を受けてきたので、これからはもう少しシンプルかつ自分自身も気楽に書いていきたい。

そんな訳で、まずは先月821日にアメリカのオレゴン州で見た皆既日食について思ったところを書いてみよう。


私が皆既日食を見たのは2回目だ。

聞けば日本でも『トランプ大統領が肉眼で太陽(皆既日食)を見ていた』とニュースになっていたらしいけれど、皆既日食自体は観光旅行の目的(地)としてはまだまだマイナーな分野であり、そもそも曇っていると肝心の「皆既日食の瞬間」が見られないので、そのリスクを取ることに躊躇し、結果わざわざ見には行かないというヒトが大半だ。(実際私も何人か誘ったけれど断わられた。)

それでも、あの瞬間を一度でも目に焼き付けたヒトには、間違いなく一生忘れることができない強烈な印象を残す。
そして、皆既日食はもしその先の人生でも(可能な範囲の労力を使って)見ることが出来るならまた見たいという思いを起こさせる強いエネルギーを持っている。
その証拠に『皆既日食は一回見たからもう十分。』と言う人に私は今まで出会ったことが無い。

空に穴が開いた
もう一つの黒い太陽
日食という名の生命体

皆既日食を言い表した言葉は様々あり、どれも言い得てはいるけれど、100%ではない。


30代の終わり頃、初めて会ったヒトが友人知人のイメージに重なったり、初めて来た場所が過去に見たことのある風景を思い起こさせたりということがよくあった。

ある程度の長さ人生を生きてくると、それまでの知識や経験が自ずと目の前の風景に重なるのは自然なことかもしれないし、それをヒトによっては人生の豊かさという言葉で表現したりもするだろう。

ただ、私自身は豊かさというよりむしろ何かを思い出してしまうことで、自分が過去の記憶や経験に閉じこめられているような、常に既存の概念に当て嵌める事でしか物事を咀嚼できない息苦しさを感じていた。

私たちは表に現れた現象を、それぞれの分脈の中で解釈する。
そして、もちろんその解釈は間違っている訳ではないのだけれど、それらの多くは一面的な物に過ぎない。

そういった意味では、自らの行動によって獲得された知識や経験ですら、このブログ記事のようにサラリと読み流してしまうような些細な知見でしかないのかもしれない。
ましてやネット検索で得られる知識など、便利ではあるが軽薄で、世界はまったく広がらず、物事を洞察するためには何の役にも立たないだろう。

それでも
自分が「体験」した皆既日食は、今までに知るどんな光景ともどんな現象とも異なる唯一無二ものだ。必然それは肉眼でしか味わうことが出来ず、それを100%言い表すことも不可能なのだけれど。

余談だが、私の旅行好きな友人の間では、『皆既日食を3回見るとチャクラが開く』という都市伝説がまことしやかに囁かれているが、それもあながち嘘ではないと思っている。次回が楽しみだ。

最後に
経済的な価値は全くないけれど、モノではない真理のダイヤモンド・リングをこの酔狂な皆既日食ツアーに付き合ってくれた大切なパートナーに送りたい。

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