2015年1月23日

知識を持っているだけでは何の意味もない

私がセミナーというものを聞きにいくようになって1年になる。

雇われていた頃は誰が好きこのんでこう言ったものを聞きに行くのか甚だ疑問だったが、いざ参加してみると、少なくとも同じ内容の知識を得るという意味では、デスクの前に座ってパソコンの画面を眺めているよりもヒトの声を直に聞く方がずっと頭に入り易い。

知識の幅を広げる


従来、私の知識のもとになっていたのは書籍によるところが大きかった。

私の読書癖は、趣味というより頭のコリをほぐすための習慣のようなもので、最近では恋愛小説以外なら多様なジャンルに手を出すようになってきた。そして何より趣味としての読書の良い所はお金がかからないことだろう。また、こちらも同じようにフラットな液晶の画面を見ているよりもストレスを感じないし、何より紙の質感が目にも優しい。

また、少し強引だが私にとっては海外旅行もそのような知識の「幅を広げる」という範疇(はんちゅう)に入ってくる。

今でこそ刺激慣れしてしまった私だが、初めて海外旅行に出た頃は、海外に出る度に知識の幅が広がり、自分で出来ることの世界や想像できる範囲がどんどん広がっていくような感覚があった。それに、多様な価値観を受け入れることによって、人として懐が深くもなる。

結局、それらの全てに共通する事だが、始めたばかりの頃はそのように知的好奇心を満たしてくれることに感慨を憶えるものだ。そして、一定のところまで来るとマンネリ化し、ある種の飽和状態になる。そうすると必然、今度はよりマニアックな、より深い方向へと目がいくことになる。

幅を広げ深掘りする


ヒトは知識の「幅を広げる」ことと「深堀りする」ことを組み合わせながら成長していく。勘違いしがちなのは、この二つはバランス取ることによって大きく膨らんでいくということだ。どちらか一方だと必ずどこかで伸び悩み、頭打ちになって、歯痒い思いをすることになる。なので、そんな時は冷静に自らを振り返り、疎(おろそ)かになっている方に粛々と取り組めばいい。

要するに、知識の「幅を広げる」というのは、概して多様な物事を見聞きすることで得られるものだ。その一方で「深掘りする」には、ひとところでじっくりと時間をかけて取り組むことが必要になってくる。それを踏まえた上で頭に置いておきたいのが、知恵と知識は別モノだということだろう。

知恵を身につける


インターネットのおかげで、現代は情報が爆発しているといった方がいいくらいに溢れ出ているが、その結果、一人の人間が手に入れられる情報量が増えたことによって、人間そのものは賢くなれたのだろうか?もしくは斬新なアイデアが次々に生まれ、仕事の質が上がり、私たちの給料が上がっただろうか?

知識は情報として頭の中に入れるだけでなく、実際に自分自身で体得しなければ応用ができない。だから、実際は知った気になった人間が増えただけだろう。

これは日常生活だけでなくビジネスにも当てはまることだが、例えばググれば出てくるような、あるいは本にペラッと書いてあるようなありふれた知識というのは、もはやこの現代では単体での有用性がなくなりつつある。ただ、それらを駆使し、元々そこに存在しなかった答えを導き出せること、これが知恵だ。

結局、個々の知恵というのは他にはないものであり、他から真似の出来ない独自の価値になる。つまりは、独自の技能と能力に根ざしており、そもそも目に見えないので真似しようがない。

これはビジネスにおいても最強の武器と言えるだろう。そして、知識だけではなく、その知恵の泉をいっぱいに満たしていくことが有効であることは言うまでもない。

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