2014年8月25日

手段と目的


先日、雇われ時代にお世話になった方の送別会に参加した。
 
今や、終身雇用という言葉は公務員以外には無縁のものとなったが、それでも転職する時は様々な労力を伴うものだ。収入や社会保険の問題はもちろんのこと、男女の仲と一緒で、辞める時は就職する時よりも苦労する。更に、人によっては、辞めた後までもあれこれ問題を引きずっていく。

ところで、その転職をするという話が、今年に入って偶然にも二人続いたので、参考までにそれぞれの退職理由を聞いたところ、なるほど共通する部分があったのである。
もちろん、二人は組織も違えば、携わっていた業務も違うので、問題を同一視するのは一概にも正しくないし、挙げた理由はそれだけではない。それを理解した上で、誤解を恐れずに関連付けてしまうと、その理由とは、

残業が慢性的に増えたから

というものであった。そして、それぞれの口からその言葉を聞いた時、私は『あぁそうか』と納得した。以下はあくまでも私の仮説である。
二人とも業務内容は違うが、少なくとも残業が毎月100時間を超えるIT系のブラック企業に勤めていた訳ではなく、また私の知る限り「仕事が遅い」方々でもない。
察するに、それぞれの組織で業務量が(致命的に)増えた訳ではなくて、「残業することが当たり前」というように《義務化》しているのである。

そういった組織では、残業そのものが美学で、会社への貢献だと思ってしまい、「残業する」という《手段》が《目的》であると勘違いしている。
手段が目的化した組織では、常に目先の業務に振り回され、「何のためにその業務をするのか」まで考えが及んでおらず、結果として成果の伴わない仕事が溢れていく。

目的を見失った従業員は、与えられた業務目標をこなし、それに見合った金銭的報酬をもらえればいいと考え、組織が殺伐とした空気になる。
そうした会社では、愚痴や不満を言い合うだけの表面的な横の繋がりしか生まれず、ヒトの定着が悪く、常に労働力不足に悩まされることになる。(更に言うと、それがもっと進行した形態として、先述のIT系ブラック企業がある)

また、もしその会社(組織)では「残業すること」そのものを評価の対象にしていると言うのであれば、更に始末が悪い。なぜなら、評価は労働時間ではなく、その労働によって生み出される価値で図られるべきだからだ。そうでないと生産性の高い社員はバカらしくなって組織を去り、非生産的な人間だけが残って、生産性は下がる一方になる。

目的を理解する


いずれにしても、そう言った悪習は今すぐにでも止めるべきであるが、不幸にも自分がそういった組織に所属しているかもしれないと思ったなら、横で毎日残業している同僚に本音で聞いてみるといい。なぜ残業しているのかと。

その上で帰ってきた答えが『周りがまだ残業していて帰り辛いから』というものであれば、それは、もともとヤル気が無いか、先述の「仕事が早い」方の社員であると思われる。
一方で、いつ聞いても『まだ業務が終わらないので帰れない』という答えが当たり前のように返って来るようであれば、その同僚(組織)は問題の根が深いと見るべきである。
その問題とはこうだ。


  1. 前者の様な「帰る事ができる」社員も帰り辛くなり、会社は残業代を無駄に払っている。
  2. 当然、ノルマ(目標)に追われ過ぎて、もし自分が大病を患った時や配置換えがあった際の、後任への引継ぎのことなど全く考えていない。
  3. そもそも働くこと、仕事することが目的化してしまい、どれだけの価値を生み出しているかまで意識が及ばない。(つまりは生み出していない)


ともかく、常に目的が何かを意識するように心掛けることが第一である。目的を理解せず、またヤラサレ感が溢れたまま業務に取り組んでも、間違いなく生産性は上がっていかないのだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿

あなたのひと言が励みになります。