2014年8月18日

無人島に行く


浜辺を散歩して、珍しい貝を拾い、じっくり眺めてみてポイっと捨てる。
また、波打ち際まで行って、海水を手ですくい、ペロっと舐めてみる。
 
ダイビングの免許もなく、サーフィンもしない。そんな私にとっての海とは《見る》ものだ。
特に泳ぐのが苦手な訳ではないのだけれど、あの巨大な海を目の前にすると、海の水をバケツで汲み出すような、途方もない力の差を感じて臆病になるのである。


しかし《島》というのもいいかげんな概念だと思う。
日本の本州も島だし、小笠原の南に浮かぶコンクリートの塊にも沖ノ鳥島なんて名前をつけたりしている。
そうなると、これはあくまでも主観だが、本州のように『もはや島と呼べないのでは?』と思うようなら、それは私にとって島ではない。そして、その境界線は1周まわってみるとよくわかる。2日くらいでまわれるならまだしも、1周するのに1週間もかかっていたら、島の島たる特別性が薄れてしまうからだ。

また、島は四方を海に囲まれているので、イメージからして孤独である。
そして、その事実こそが、やはり大陸や半島に面した海との絶対的な差でもある。
大陸に面した海は、河の延長線上にも思える。だが、島の海は強引に言うとそれだけで一つの世界が完成している。

その一方で、島は閉鎖的であるが故に、過去に何度も理想郷の舞台になってきた。しかし、残念ながら今では、どんな島でも人が住めば情報が溢れ、悩みやエゴそして争いが生まれていくのは想像に難くない。

それでも。

『結局もったいつけて何なんだよ』というせっかちな人や『オレは暇さにかけては自信がある』という強者がいたら、是非《無人島》に行ってみるといい。

無人島に行く


無人島は探せば意外とあるものだ。
テレビ番組の企画でも時々やっているが、日本にもいくつかあるようだ。ただ、時期によっては漁師が住んでいたり、場所によっては自然保護区になっているので、許可が必要になるかもしれない。
また、これは耳学問だが、今の地球上には住人はいなくても持ち主のいない島というのは存在しないらしい。

そして、もしも無人島に行くなら、最初は3日くらいに期間を区切って、食糧と水も全て持ち込むのが賢明だ。
そもそも、サバイバルのプロが居るならともかく、最初から海に潜り、森に入って、全ての食料を調達するのは明らかに現実離れしている。

では、食糧の心配がないなら一体何をして過ごすのだ?と思うが、確かにその通りだ。探検するくらいしかない。
少し長く滞在するなら、貝殻のアクセやヤシの葉で籠を作ることも出来るし、男性なら個人的にはブーメランを練習するのもアホらしくてお勧めだが、いずれにしても最初のうちは、否応なく自然界の厳しさを痛感することだけは、覚悟した方がいい。

例えば、浜辺は風が強過ぎてテントなんか張れないことや、日中は日差しが強過ぎて出歩けないこと、森の中は昼夜問わず蚊をはじめとする膨大な数の虫がいるので注意が必要なことなど、すぐに身をもって知ることはたくさんある。
他にも、南国であればヤシの木の下は注意して通ることや、外海なら引き潮の時は沖に連れ去られるので、危ないから泳がないなんてことも学ぶかもしれない。


そして一番の《発見》は、無人島から戻ると、どんなに小さな町でも、びっくりするくらいのヒトのエネルギーと、膨大な量の情報に呆然とすることだろう。とんでもない世の中になったものだと。
その時、一昔前の映画【ザ・ビーチ】が訴えたかったような《楽園》の意味が少しだけわかるかもしれない。まあでも1日も経てばすっかり慣れてしまうのだけれど。

だからそれが一体何なのかって?

そうそう。私は海を探しにいくという話がしたかったのだった。

(続くかも)

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