2014年9月16日

えびすさん


私は、静岡市の中心部を少し外れた下町エリアに住んでいる。
家の前の通りは、国道ではないが、いわゆる昔の東海道にあたり、年に一度の神社のお祭りの時は、歩行者天国になって多くの人で賑わう。


私の知る限り知名度は低いと思われるが、現在の住所を横田町と言う。
「現在の」と言ったのは、最近知った知識によると、昔は院内町と呼ばれていて、江戸時代に遡った徳川家の時代には祈祷師や占い師などを住まわせていたらしい。
また、余談だが、個人的にはそう言った呪術的なおどろおどろしい感じは嫌いではない。


しかし、今や我が町も青息吐息かもしれない。
地方都市の例に漏れず、中小企業や商店は後継者不足に悩み、当然ながら子供の数は減り、高齢化が顕著に出てきていて、町内の集まりを行えば、殆どが団塊世代以上だと聞く。

そんな2年ほど前の夏のある晩、(確か日曜日の夜だったと記憶しているが)ふと家の窓から通りを見ると、夏だというのに人通りが全くなく、また、まだ眠るには早い時間なのに住宅の灯りが殆ど灯っておらず、信号の光だけがぼんやりと辺りを照らしているのを呆然と眺めていたことがある。

おそらくは、自分自身の懐古的な記憶と重ね合わせた、身勝手でセンチな気分からくる空虚な心持ちなのだが、そこには時代の流れの中に置き去りにされたような、そのまま放っておけばいずれは砂漠化してしまうような荒涼とした寂しさがあった。
そしてその時、

『この生まれ育った地域のために何か恩返しをしたい。』

と、心に誓ったものである。

地域の活性化


静岡をもっと盛り上げていこうというのは、近年、同級生が集まると口が酸っぱくなる話題の一つだ。特に私と同世代の人間にとっては、人口の減少も経済の低迷も実際に目で見て育ってきただけに、誰もがリアルに感じていることだろう。

しかし、年齢的なものもあると思うが、今まで「根無し草」のような生き方をしていた自分が、こうして地域のために役に立ちたいと思うのだから、ヒトの価値観というのも変化するものだなと改めて思う。
その一方で、自分の中で今まで感じたことが無かった【帰属意識】を初めて認識したのが、地域のネットワークだったというのが私にとっては興味深い。

そもそも勤め人時代には、仕事の繋がりのような、共有する時間は長いのに、どこか利害関係を伴い、お互いが敬語を使い合うような間柄で身を委ねている組織に対しては、そう言った意識を感じる事は決して無かった。
私にとってのそれとは、目に見えるヒエラルキーが存在しない、気が置けない距離であり、もっと「身近な」共同体の中に存在するものなのであった。


そんな折、神社で定期的に開催されているイベントがあったので、少し覗いてみると、なかなか地域に根付いている感じである。

 

よもや、自分の心配が先なのであった。

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