2015年2月2日

喋ってストレスを解消する

【ヴィパサナ瞑想】と呼ばれる瞑想(めいそう)方法がある。


一度やり方を憶えてしまえば個人で習慣化することもできるが、最初は然るべき施設でプログラムに参加した方がいいだろう。日本国内では、私が行った千葉の他、京都にも施設があるという。

実際ヨガもそうだが、こういったプログラムは一つ一つのアクションが特殊な状態やポーズなどを表しているおり、サンスクリット語の聞きなれない単語が多いので、【日本ヴィパッサナー協会】のホームページを見ると何だか怪しさは満点だけれど、当該の団体は決して正体不明の宗教団体ではないことは付記しておく。

ヴィパサナについての歴史的な背景やコースの詳細も割愛するが、かなり乱暴に言い切ってしまうと座禅会のようなものを想像してもらえればいい。その一方で、ヴィパサナがただの座禅会と違う最大の特徴は、そのプログラム中の施設に滞在する10日間、施設からは出られず、また全ての情報を遮断し、更には施設内で一切の会話が禁じられていることだろう。

煩悩はあふれ出す


私の前職にあたる企業では、とある寺に毎年100人近い数の社員を一堂に集めて座禅会を催していた。
元々は社長のアイデアであり趣味のようなモノだったと聞いていたが、社員の間でも比較的好意的な意見が多く、個人的にもそのように多くの社員が共有体験できる企画は多い方がいいと思う。

私の知る限り経営者(特に男性)の中には、「座禅」や「武道」のように精神性を鍛えることが好きな方は多い。そして、それがある種のストレス発散にも繋がっている訳だが、そう言った「笑いのない世界」の本質を理解するというのは意外と難しいということも知っておきたい。

昨今のマラソンブームに乗じて言うと、いわゆる「ランナーズ・ハイ」と呼ばれる状態に達するには相当な運動量が必要だが、同じように、身体を動かすのではなく、静止した状態で達するある種の「無心」から悟り状態に達するのも、道のりが長く、一年に一回数時間取り組むだけではきっかけを与えるだけに過ぎない。

そういう意味では前職の座禅会は「共有する」部分が形だけのものになりやすく、また、これは私見だが、同じように煩悩を取り払う「無心」を目的とするならば、身体を動かして行う方がヒトの営みとしては健康的にも見える。


喋って吐き出す


さて、人にはそれぞれの気分転換やストレスの発散方法があるだろう。
先日クライアント先で聞いた女性のストレス発散方法は、「とにかく人に喋って発散する」というもので、これは件のヴィパサナとは対極にあるが、(特に女性にとっては)非常に効果がある方法だと私も思う。

以前務めていたキャリア・コンサルタントの主要な業務の一つに「求職者の悩み相談を聞く」というものがあったが、実際どうやって悩みを解決していたかといわれると、大半は例えば私が同世代の女性と面談しながらも全く解決策が思い浮かばず、

『うーん。そうですよね。あそこ(就業先)も色々ありますからねぇ。』

などと終始曖昧な相槌を打っているだけなのに、相談者の表情が段々とイキイキしてきて、終いには「ようやく結論が出ました。本当にありがとうございました。」と感謝もされ、求職者はスッキリしてお帰りになったが、よく考えると私は何も解決策は言っていないよなぁと思ったことをよく憶えている。

ストレスと共に生きる


女子会にも同じことを感じることがある。
男同士だと、まずアルコールに手が伸びてしまうし、酔っ払うまでは葬式の様に暗い雰囲気が漂っていることもよくあるが、女性の場合は、最初から全開トークを展開しているにも関わらず、飲んでいるのは終始アイスティーというグループも時々見かける。


現代は、ストレスに抗うことではなくストレスと共に生きるという考え方が必要だと言われているが、そうであれば女性の方が長生きするのは当然だろう。男って偉そうなこと言ってても結構打たれ弱いし、落ちるとなかなか回復しないよなぁって。身に憶えがある・・・よね?

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