2014年12月26日

いまを生きる

世の中の大半の人は、小さい頃に『~になりたい』という夢を持つ。
それは、例えば『サッカー選手になりたい』だったり、女の子なら『お嫁さんになりたい』という子もいるだろうし、ワンピース世代の男の子なら『海賊になる』というのもあるかもしれない。


レールの上を歩く


私と同年代の男性の中には、映画の名作「スタンド・バイ・ミー」を真似て列車のレールの上を歩いた憶えがある方もいるだろう。だが、今回はもう少し抽象的な意味での「人生の」レールの話をしたい。

例えば、世界各国には、自由をこよなく愛する「自由人」と呼ばれる人達が居る。彼らは自分の意志で作り上げたのではない「誰かが敷いた」人生のレールに沿ってを歩くことが苦手だ。その一方で、私個人もプライベートでは接点が少ないが、仕事上では先達の敷いたレールを、常に次の目標に向かって粛々と歩いている人に数多く出会う。

長期的な目標の弱点


もう少し突っ込んで考えてみたい。

ここ最近、日本に腰を落ち着けて生活してみて気付いたことだが、先述したように若い頃から目標設定をし、そのレールから外れずに目標をきっちりと達成してきた40歳代以上の方の表情が、どうしても幸せそうに見えないことがある。

それは、日常にまつわる苦労や仕事上の努力が顔ににじみ出ているという訳では無く、常に10年後とか20年後の目標設定をし、「なりたい自分」になるために生きているので、今を楽しんで生きていないからではないかと私は思っている。

言い換えると、そういった価値観の持ち方をしていると、もし今幸せが目の前にあったとしても心底から実感できないのではないかということである。

もちろん目標を持ち続けることは大切だ。実際、長期的な目標というのは、その目標に対する意味付け(目的)を明確にしないとモチベーションが続かないものだ。

その一方で、逆説的になるが、強い意志を持ち、10年後にはその目標をクリアした時に、今度はすぐにまた次の10年というように、先のことばかりを考えていたら、誰しも目標疲れを起こすことになるだろう。

映画「いまを生きる」のワンシーン

なりたい自分とありたい自分


近年のようなドッグイヤー(成長の速いイヌにとっての1年は人間の7年に相当するという意味で技術革新など変化の激しいことのたとえ)といわれる時間軸の早い時代には、社会の変化スピードが早く、臨機応変に物事に対応していくことがより要求される。

また、漫然と生きているだけでも、自分では全く意図しなかったとんでもない事に自分や家族が巻き込まれてしまうこともあるだろうし、反対に自ら巻き起こすこともあるかもしれない。

となれば、まずは今「ありたい自分」を確かなイメージとして持ち、先の見えない世の中を立ちまわりながら、「なりたい自分」の方向に向かっていくというのも、今の時代を生きる一つの処世術ではないだろうかと思う。

いまを楽しんで生きる


そもそもが、そんな回りくどい考え方をしなくても「いまを楽しんで」生きているという今どきの若者も多いだろう。つまり先が見えないのだから先の事つまり未来に期待せず、「今どうありたいか」に重きを置くという考え方なのだが、先述の疲れたように見える中年世代を見ると、私個人としては頭ごなしに否定する気にはなれないのである。


因みに、投稿タイトルの「いまを生きる」は、1989年に公開された同名の映画にちなんだモノで、景気が低迷している時代設定で、暗鬱として割とシュールな内容だったので、当時の日本では少し温度差があったが、その直後の1990年代から日本でも景気の後退が始まり、四半世紀を経た現在も依然として先の見えない経済情勢が続いているので、今の世代の方が内容的にはしっくりくるかもしれない。

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