2014年7月29日

きかいの話2

(続き)
結局、その日は一日中悶々として仕事にならなかったが、案の定上司からのお咎めもなかった。

そして、夜になって会社に戻ると担当事務員からの伝言がペラッと置いてある。

『先方がとてもお怒りのようでした』

と、それ以上でも以下でもない事実と、電話を受けた時刻だけが記してあったそのメモは、秒殺でゴミ箱へと吸い込まれ、そのゴミ箱の中身は翌朝には空になり、事実が記憶の中だけに残っていく。



この話は、今になって振り返ると、課題が二つある。

一つ目は、(私の在籍した会社はもう存在しないので言ってしまうが)当時の管理体制が非常に脆弱だった上に、売上さえ上がっていれば他は何でも許されるような空気があり、私の至らないところを指摘してくれる上司がいなかったことだ。
そして、改めて振り返ると自分自身の勘違いというか、独りよがりな部分が多く、それに気付いたのも、その会社を退職してだいぶ後の話になる

また二つ目は、当時の自分は『こんなに理不尽な思いをしたんだから、最終的に相手が譲歩するのは当然だ』と傲慢になり、それ以降も営業にいこうとしなかったことだ。
これは、その時は自分を正当化し、せいせいしたつもりでいても、(10年経って)未だにこれだけハッキリ憶えているということが、根っこの部分で解決していなかったことを証明している。

しかも、その後、関係を修復する《機会》があったにも関わらず、面倒な問題から逃れてしまったせいで、ある意味永遠に解決する《機会》を失ってしまっている。
また、いつまでも私の中に潜在的にネガティブな記憶として残っていたという事は、恐らく相手にとっても同じであると推察でき、二重の罪悪を生み出している。

結局、どちらも元をただせば私が悪いのだけれど、今に活きているのは、客観的にダメだと忠告してくれる人は大切にしたいという事だ。
例えば、この《機械》を売っていた20代後半の頃にさり気なく言われた事で、今も憶えている言葉がある。

『あなたは今のままだと、口先だけの中身がない人に見られてしまうよ。』

と、『あぁ、そういう人よくいるよね』と同意しそうになるが、この《あなた》は私自身のことであった。しかも、言ってくれたのは残念ながら上司ではなく、友人でもなく、ましてや恋人でもない。顧客の方からである。

それを言われた当時の私は、『そんなこと言ったらみんなそうなんじゃないですか』と反発してしまった記憶があるが、今なら『おっしゃっていただきありがとうございます』と素直に言いたい。

頭で分かっているだけで実体験を伴っていないことというのは、どうしても聞いていて重みがない。リアルじゃない。だから、その年配の顧客の方も、私の営業トークが吹けば飛ぶような頼りないものに聞こえたのだと思う。


元々、自分の思っている自分の姿と、他人が見るそれというのは全く違うものである。
そして、それに気付いた時、私の営業スタイルは明らかに変わっていくが、それはこの話から何年も後のことだ。
しかし、そこには何十年分もの体験があった訳ではなく、ましてや革命的な手法を編み出した訳でもない。ただ、考え方を変えただけで、日々の営業が、自然と良いスパイラルの中に収まっていくようになったのである。

では、その思考法とは?

長くなってしまうので続きはまた次の機会にしますね。


―この話は実体験ですが、相手が特定できないように一部の内容を入れ替えてあります―

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