2014年7月28日

きかいの話

今から10年ほど前の冬、私は静岡中部地区担当の営業として官公庁関連の施設を走りまわっていた。


官公庁は、どこも3月末の決算に向けて残予算の使い切りに入るので、必然的にその営業担当は年度末が忙しい。だが一方では、その時期の商談は売り上げにも結び付きやすかった。なぜなら残予算で買う物というのは緊急性が無く、また使い切る期限も区切られているので、選定の詰めが甘くなるからである。


当時の私は、研究用の《機械》を売っていた。
そんなある日、会社から、とある年配の顧客より呼び出しがあったと携帯にメッセージが入る。と、現金な私は、いそいそと向かう車の中で、予想売上額に応じて超S級の金額から『これだったらがっかりだなー。』という最低の物まで、勝手にランク付けを始めた。

客先の施設に着きノックをして部屋に入ると、案の定話はとんとんと進み、『○○を買いたいので、先に書類を全て揃えて明日持ってこい』ということになる。
『期限が迫っているので納品はあとで良い』という話自体は、官公庁ではよくある話だ。
私は、聞いた内容を整理し、幾つか確認をした後、翌日の同じ時間に来ることを約束して、その場を離れた。


翌日、書類一式持参すると、相手はあいにく手が離せず、詳細を確認せずに書類を受け取る。しばらく後にもう一度訪ねると、今度は不在で、私は仕方なく帰途につく。
そして予感は的中し、その夜会社に電話があった。

内容は『あれとこれを訂正して明日持ってこい』というものだったが、こちらのミスではない上にスケジュールがいっぱいであり、率直に翌日は無理だと答える。
すると、相手も書類の提出期限があるので引く気配がなく、結局、こちらが渋々折れて、すぐに訂正箇所を直し、朝一番に直行して持参するという事で決着がついた。

そして次の日、まだ人が少なく空気がフレッシュな8時前に施設に着くと、客先で早速書類を手渡す。すると、書類を確認し始めて3分も経った頃、相手は口を開いた。

『あのさ、ここの所やっぱりこれだとマズいんだよね。だからここだけ直してよ。それで、もう時間が無いから悪いけど今日の夕方持って来て。少しくらい遅くなってもいいからさ。』

私は開いた口が塞がらなかったが、感情は表に出さず、涼しい顔をしてその書類を受け取る。
確認する振りをしてその指摘された箇所をじっと眺めているが、どうしても焦点が合わず、それとは裏腹に頭の中では心の中のセリフがカシャカシャと音を立ててタイピングされていく。

しばらくすると、かろうじてそれが前日の訂正箇所と違うことはわかったが、もはやそんなのはどっちでも良かった。

そして、口をついて出た言葉は、やはり表情と合致しないものになった。
 
『あのー。すみませんが、今日この朝の時間も無理に捻出したぐらいなので、夕方までにってのは無理ですね。
あと、色々と不手際でご迷惑をかけましたが、やっぱり今回の話は無かったことにしてください。これ以上、当社の事務員の手を煩わすのも難しいと思いますので。』

と、一息に喋ったその声は、少し震えている。

私は、相手が事態をよく呑み込めないような顔をしているのを見てゆっくりと立ち上がると、書類をクシャクシャにカバンにねじ込み、『すみませんが失礼します。』と言ってドアに手をかける。

『おい、お前そんな事して何とかなると思うなよ!会社に電話してやるからな!!』

と怒鳴る相手を無視して、怒りに蓋をするようにドアを閉めると、ドアの向こうから何かを投げつけている音がする。
私は、自分自身の行動に酔いしれ、心の中が最高潮にざわついている一方で、一連の出来事はどこか他人事のようにも思えた。
そして、

『勝手にすればいい。』

と、独りつぶやくと足早にその場を去った。


―この話は実体験ですが、相手が特定できないように一部の内容を入れ替えてあります―

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