2016年1月10日

好きで得意なこと


人事・労務の仕事にはいろいろあります。

社会保険の手続き・給与計算
労働問題対応・メンタルヘルス対策

人事制度構築・人材育成

私は、30歳代になってからはずっと人事・労務関連の仕事をしてきましたが、上記の全てをやったわけではありません。特に給与計算に関しては、未だ未経験です。

この1年間特に力を入れてきたのは人材育成です。先日、トヨタの社長もどこかの賀詞交歓会で今年の抱負を「人材育成」と掲げていましたが、業績の良し悪し、規模、業種に関係なく、全ての会社の経営層が何かしら人材育成の必要性を感じています。

ただ、私は最初から人材育成をやりたいと思っていた訳ではありません。一昨年に独立し、雇われ時代とはまた違った視点で会社を見てみた結果、先に挙げたような業務やマネジメントが結局根幹の部分では人材育成に繋がっていると感じたため、以降自ら意図的にこの言葉を口にするようになりました。


私は、周りから「おまえは倫理観が足りない」とよく言われています。確かに、今までの人生の中で大きな声では人に言えないようなこともしでかしてきましたし、それに伴って自分の想像力が足りないがために、周囲を巻き込み、迷惑をかけてきたことも何度もありました。

ただ、『倫理観』については、多くの人が
「こういうことに対してはこういう考えのもとにこうするべきだ。」
という、それぞれの『価値観』を『倫理観』と取り違えているような気がします。

実際、まったく『倫理観』がなかったら、そのヒトには人材育成はできないでしょう。育成だと思ってやっていることが、育てるどころかマイナスの方向に進んでしまう可能性が高いからです。ですが『価値観』は違います。自身が多様な価値観を持つ、つまりヒトの多様な価値観を認めることは、育成の第一歩であると私は思います。


20歳代後半に自己啓発本を読みあさっていたころに下記のような考え方と出会いました。元を辿れば『禅』の考え方と共通する部分もあり、また複数の本で同じ内容のことを焼き直しているので、曖昧な記憶であることを承知で要約すると以下の様な内容です。

今、自分に見えている世界とは、まさに自分自身であり、自分を映し出した鏡である。日々の生活がつまらないと思うなら、それは自分自身がつまらない人生を送っているからだ。普段、自分が志向していることやこだわっていることの殆どは、自分の自意識を通して見ている世界の中の観念なのだから、その自意識を変えれば世界は変わるのである。

ちょうど10年前に出会ったこの考え方は、今でも私の様々な実践哲学のベースになっており、結果としてその時期を境に私の人生は一変しました。つまり世界が変わったのです。


この1年間、人材育成という言葉を何度も反芻しながら、いろいろなやり方に挑戦してみた結果、振り返ると色々なことがありました。

・何時間も掛けて書いた魂を込めたブログ記事を、『あなたのブログって暗いですね。』と言われた。
・ワーク研修をやっていたら、目の前で社員が社長に『この研修って本当に意味があるんですか?』と言った。
・会議が膠着(こうちゃく)状態だったので少しハッパをかけたら、部長にめちゃギレされた。
・社員の自律性を向上させるためにオブザーバーの立場で通していたら、結局何も進まなかった

上記のようなことがあって、私自身まったく応えてないといえばウソになりますが、相手には応えていない(飄々としている)ようにみられることが多いようです。それでもこれからも、懲りずに、試行錯誤しながら人材育成の仕事に力を入れて取組んでいこうと思っています。なぜならそこには私にしかできないことがあるからです。


以前に【自分探しの旅】という記事を書きましたが、旅に出ても『自分』は見つかりません。

・宗教や文化によって異なる多様な価値観を受け入れる柔軟性
・過酷な状況やトラブルに対処する中で磨かれる、簡単に動じることのないタフな精神
・どんなことでも肯定的に受け止め、笑いに変えるカラリとした明るさ

これらは今の自分にとっての基礎であり、いちいち他人の言葉に左右されない確固たる自分を築くために必要な条件の一つだと思いますが、一朝一夕で身につくものでもありません。そして人材育成も同じことです。

では私にしかできないこととは何なのか?

それはまた次回以降に書こうと思います。


今週14日は社労士会の倫理研修です。

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