2014年11月8日

どくろ杯

チベット仏教の法具に《どくろ杯》というものがある。
1970年代に刊行された作家であり旅人でもある変人 金子光晴 が書いた同名の自伝的旅行記にも《どくろ杯》が登場し、そのタイトルにもなっている。


《どくろ杯》とは、その名の通り人間の頭蓋骨を盃(さかずき)として使用したものだ。
『そもそも法具ってそんなものどうやって使うの?』
という怪訝な顔も容易に想像できるが実際にはこんな感じだ。


これは、頭蓋骨を乾燥させたあとに表面を磨き、アイアンクロスの様な形をした、空海ゆかりの法具として知られる《五鈷杵(ごこしょ)》のようなレリーフが中心に彫られているが、《どくろ杯》にも、色々と種類があるようだ。

以前に私が中国の田舎の骨董屋で確認した限りでも、単純に頭蓋骨のトップの部分を切り取って綺麗に磨き、特に何の装飾も施していない「生のまま」のものもあるし、銀箔を施し、全体を隙間なく銀で装飾を施したものは、一見すると銀細工のようにも見える。更には、杯として切り出したトップ以外の頭蓋骨を受け台として残し、全てひっくるめて一つのオブジェとしたものもある。

個人的には、ある程度骨の素材感が見える方が、怪しい雰囲気が出ていて見応えはあると感じるが、特に頭頂部のうらがわ、つまり脳みそと接している部分は、得体のしれないスジが這っていたりして、よくみると宇宙的な感じさえする。

また、見方によっては、頭のうらがわをムシが這いまわった跡のようにも見え、ひょっとすると本人の知らない間に地球外生命体に侵略されてしまった古代の貴重な人体実験のサンプルなのではないかと一人で妄想が飛躍したりもした。

カニバリズム

《どくろ杯》でググってみると、先述の金子光晴の著書だけではなく、世界各地に残る歴史上のいくつかの記載が出てくる。それによれば《どくろ杯》は、ヨーロッパや中南米、南太平洋に残っていた「カニバリズム」―いわゆる食人―の宗教儀式などではかなり昔から使われていたようだ。
また、チベットやインドなどでは、少なくとも前世紀の始め頃までは習慣として残っていたと言われている。

そもそも世界各地で記録に残っている(もしくは今世紀まで続けられていた)カニバリズムの習慣というのは、宗教儀式によるものが殆どだ。《食人》と聞くと、肉食文化の選択肢の一つとして人肉を食すという想像をしてしまいがちだが、大半はそんな理由ではなく、例えば年に1度、儀式の中の生贄(いけにえ)として神もしくはそれに準ずる超越した何かに対して、一つの魂を捧げるのである。

更に言えば、宗教儀式というと煙がもうもうと立ち込める中で、踊り、唄い、『この聖水に神が力を与えたもうた!』とか何とか言いながら、それを皆で回し飲んだりする。そんな場であったと私は推測している。だとすれば間違いなく出番は回し飲みの時だ。皆が同じ《どくろ杯》に注がれた得体のしれない液体をシェアして飲む。そんなものなのである。

そうなると、中に入った聖水は、当然そこらの湧き水などではなく、森の聖霊が宿っていると代々伝わる幻覚剤のようなモノが仕込んであり、その空間を共有する者たちは次々にトランス状態になって、中には四足歩行で駆けずり回って野獣化する者や、《どくろ杯》を頭に載せ、自分自身が神になりかわって、『2222年に人類は銀河系第14惑星人の侵略によって滅ぶだろう』とか何とか言い出す予言者まで出てくるという寸法だ。

では、肝心かなめのチベットやインドではどの様に使われたのか?はたまた日本では??
そして、裏スジを這って脱出した地球外生命体は一体どこに???


と、興味は尽きないので続きはまたの機会にしておきますね。

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